もみじブログ

お葬式以外のお話

雨となって、また私たちのもとへ

葬祭部の義積です。

初七日のあとの法話で、お寺様がこのようなお話をされました。

祭壇にあるお位牌の一番上には〇が書かれています。これは、故人様が生まれた瞬間から始まり、生き、そして亡くなるときに再び出発点へ戻ることを表しているそうです。つまり「輪廻(りんね)」を意味しているのだと教えてくださいました。

輪廻とは、死んでもまた新しい姿に生まれ変わり続けるという死生観です。また「土に帰る」という言葉には、生命がその形を失い、物質としての基礎である土へ戻るという意味があります。
禅の考え方では、死は終わりではなく、自然の大きなサイクルの一部と捉えます。万物は流転し、形を変えながらもつながり続けていく――そんな生命観や世界観を表しているのだそうです。

今日は雨が降っていますが、故人様も土へ還り、長い時間をかけて雨となり、また皆のもとへ降り注ぐ。そのようなお話でした。
形ある姿を見ることはできなくなりますが、どこかで故人様を感じることができる。そう考えると寂しさは残りながらも、どこかに接点があるようで、世界の見え方が少し変わる気がしました。

その法話を聞きながら、私は好きな良寛さんの句を思い出しました。
「形見とて 何かのこさむ 春は花 山ほととぎす 秋はもみじ葉」
お金や物といった財産は残せなくても、美しい自然や季節の移ろいこそが形見である――そんな心境を詠んだ句だと言われています。

私の解釈になりますが、この世のどこかで、亡くなった方もまた姿を変えて存在しているのかもしれません。
いつか自分が亡くなったとき、残された家族を見守るように、鳥や草花となってそっと寄り添うことができたなら、死を恐れる気持ちも少し救われるような気がします。

この記事を書いた人