命のつながり
葬祭部の山下です。
先日、担当させて頂いたご葬儀において、当日の初七日法要後にお寺様の法話があり、とても印象深い話だったので少し感じたことを書きたいと思います。
そのご当家では、喪主様のお母様がお亡くなりになり、お寺様が「母」にちなんだ法話ということで歌人・石川啄木の短歌を紹介されました。
『たはむれに母を背負ひて
そのあまり軽きに泣きて
三歩あゆまず (「一握の砂」より)』
この歌の意味を簡単に説明すると、
「自分が苦労をかけてきた母が年を取って小さくなってきたことに少し目を背けてきたが、うっかりふざけて母をおぶったところ、そのあまりの軽さを背中で感じ、ここに至るまでにどんなに苦労をかけたことか、一歩、二歩は歩けたけれど涙がこぼれてもう動けない。」
という意味です。
この短歌そのものについての意味は上記のような内容になりますが、お寺様の法話では、もう一歩踏み込んで話をされました。
「現代では、育児放棄や親が子を殺める痛ましいニュースがあったりと命に対して無責任な事件が多く発生しています。しかし、こうして私たちが生きているということは、ご先祖様が繋いでこられたその命の輪、繋がりを誰一人途切れさせなかった証拠であり、その命を繋いできた輪の中にいま自分が生きていることを想うと、いかに命が尊いものであるかを知ることができる。その命の輪を繋いできてくれたご先祖様、親に対して感謝を忘れてはならない」という内容でした。
この話を聞いていて私は本当にその通りだと思い、感動しました。石川啄木の短歌は年老いた母に対する少し悲しい歌かもしれませんが、その背景にある親への感謝という観点でとても大切なことを教えてもらえる歌だと思います。
よく「ご先祖様や親には感謝しないといけない、大切にしないといけない」と聞くものですが、ここまで深く考えたことはなかったので、胸が熱くなりました。