葬祭部の板垣です。
先日、親戚の49日法要にお参りに行った際に、お寺様の説法で合掌について話をされていたのを聞いて、自分の中で合掌についてあまり考えた事がなかったと思い、色々と調べたり考えてみました。
皆さん、葬儀以外のときにも普段から合掌はされていると思います。例えば、食事をされる際の「いただきます」などがあります。これは、食べ物になった生命に対して「感謝」や「敬意」の気持ちを込めて手を合わせたり、謝る際の「ごめんなさい」や物事をお願いする際の「お願い」の時にも使われてたりされていると思います。
これが葬儀の時には少し意味合いが変わり、合掌した際の右手は仏様を表し、左手は現世を表します。合わせる事によって故人の成仏を願うという意味があります。これとは別に「『瞋恚』(しんに)という仏教における煩悩の一つで怒りを指す事」や「『貪欲』という非常に欲が深い事」、「『愚痴』という愚かで思い迷い、ものの理非がわからない事」などを仏様の前で洗い清める事を表す意味もあります。
私は、この意味を知ってからは今までより普段の手を合わせて合掌をする際にもその意味を考えながら気持ちを込めてするようになりました。皆さんも普段何気なく手を合わされる際には、こんな意味あるんだと思っていただければなぁと思います。