葬祭部の義積です。桜の季節も終わりに近づき、新しい季節の風景を見ることができます。田んぼに水が張られ私の大好きな風景がやってきました。
季節のお話といえば、このような句があります。
形見とて何かを残さむ
春は花山ほととぎす秋はもみぢ葉
江戸時代を代表する禅僧の良寛(りょうかん)さんの辞世の句です。良寛といえば子供達と遊んでいる姿を思い浮かべる方も多いと思います。良寛さんは生涯にわたり寺を持たず、貧しいながらも清らかな生き方を通されました。そうした中で、多くの詩や歌を詠まれました。
この和歌は、私は貧乏なので何の形見も遺せないけれど・・。という内容です。火葬されると自分を構成したものは酸化し燃えて地球に広がります。それが段々雨に混じり、雨は花に降り注ぎ、雨は川にも降りいづれ海に流れ行き、海の魚たちにたどり着きます。
そのような意味であるから、春夏秋冬すべてに私の形見が生きているぞ、という意味です。亡くなると、形はどう変わろうと、ある意味命というものは終わらないということでしょうか。自然を愛し、自然と共にあるがままに生きた良寛さんらしい歌ですね。
大切な人を亡くすと大きな悲しみを抱えられます。それは実際に会うことができなくなった、話すことができなくなくなるからです。良寛さんの句のようにどこかで大切な方の残されたものがあると感じると、悲しみが和らぐような気がします。