恩師への弔問

葬祭部の杉上です。

前回のブログにて柴田先生の訃報をお伝えしましたが、横浜の先生のご自宅へ弔問させていただきました。

偶然にも家族と東京へ行く予定があり、丹波に帰る前に横浜へ寄らせていただきました。
9月にお亡くなりになられ、3月の東京へ行く予定前の2月に知ることが出来て、弔問に行けたのは先生が呼んでくださったのかな……と私は思っています。

納骨をまだされていなかったので、リビングに遺影写真と骨つぼと位牌が有りました。
お線香をあげさせていただき、手を合わせると自然と涙があふれ、先生が亡くなられたことを実感しました。

病院で亡くなって、お棺に収まって、お通夜と葬儀式を終えて、お骨になって「もう死んだんだ」と納得される。亡くなられてからお骨になるまでの数日間は、死を受け入れていく大切な時間である、と先生に教わりました。

訃報を知ってからの私は「亡くなられたんですね」と、だけでは終えることが出来ず、先生を思うと涙が出て、このままでは終われない気持ちが強いため、弔問に行かせていただきました。
そして先生がいるはずの空間に、ご主人と娘さんしかおられず、遺影写真と戒名が書かれている位牌を見て死を受け入れることが出来ました。

家族以外の私でさえも、大事な方の死を受け入れるのには時間がかかりました。
家族であれば、なおさら色んな感情が起き、受け入れるのに時間がかかるかもしれません。
先生の娘さんも葬儀を終えて、お墓の準備をしているけど、遺品は片づけることが出来ないし、「どこか長い出張にいっているのでは」と思ったりするそうです。

愛する家族や親しい友を亡くした後に体験する複雑な情緒的状態を「グリーフ(悲嘆)」と呼びます。遺された家族が故人のいない世界に適応していく、この悲嘆のプロセスを「グリーフワーク」と言います。「グリーフケア」は遺族の何らかの助けになる行いのことを意味します。

私は、お葬儀自体もグリーフケアと考えることが出来ると思います。
これからもご遺族に寄り添える、頼っていただける葬儀担当でありたいと思います。