新米日記17
2011
03/04
昨年2月頃
「私も葬儀の仕事をしたい!!」
と思い立ち、社長にお願いして
葬儀の仕事をたずさわり
早くも1年が経ちました。
数々の葬儀をしてよく思うのが
3年前に執り行った自分の母の葬儀。
よく分からないまま、流れ作業のように
納棺、通夜、葬儀が終わってしまった・・
と後悔しています。
今の私なら、こんな事や、あんな事
してあげたかった。
そんな思いがいつもあります。
ご遺族と故人様の最後の時間を
心残りのないように過ごされるよう
お手伝いをさせていただきます。
written by yoshidumi
お若くして、愛するお母様を失う悲しみはさぞ大きかった事と思います。
幸いに、私の母は健在ですが、知人の葬儀へ参列やお手伝いをしていつも感じるのは、葬儀社の方々の葬儀への取組み方如何によって、故人へのイメージさへも変わってしまうという事です。
「大人も子どもも、利口も馬鹿も、貧者も富者も、死においてはすべて平等である。」
ドイツの教育者・牧師 ロレンハーゲンが言った言葉です。
今までの葬儀は、料金体系に分かりずらいところもありました。そして、お金を積めば形だけは盛大?な式が行なえるのかもしれません。
ですが、ロレンハーゲンさんが言われように、死が平等であるのであれば、プランによる形式的な違いはさて置き、実質的なサービスに
お若くして、愛するお母様を失う悲しみはさぞ大きかった事と思います。辛かったですね。
幸いにして私の母は健在ですが、知人の葬儀へ参列やお手伝いをしていつも感じるのは、葬儀社の方々の式への取組み方如何によっては、故人のイメージさえも変わってしまうという事です。
「大人も子どもも、利口も馬鹿も、貧者も富者も、死においてはすべて平等である。」
ドイツの教育者・牧師 ロレンハーゲンが言った言葉です。
昨今は大分かわってきましたが、今までの葬儀は料金体系を含め分かりにくいところが多々ありました。また、お金さえ掛ければ形だけは盛大?な式を行なうことができました。
ですが、ロレンハーゲンさんが言われように、死が平等であるのならば、葬儀プランによる形式的な違いはさて置き、実質的なサービスに込められるまごころや、また時によってはクオリティを高めるなどして「死は平等なんだ」との言葉えの実感と「感動を呼び起こさせてくれる葬儀」が、高齢化社会、特に現在の日本の土台を築いてこられた個性溢れる方々がへ御社の葬儀の魅力と特徴をアピールする重要なキーポイントになります。
葬儀という人生の締めくくりが、残された方々のこころの中で故人が生き続けるための懸け橋となるような式になれば素晴らしいですね。
きっとお母様の式でああしたかった、こうできたとの思いをブロガーさんが持ち続ける限り、言葉だけではなく、こころのこもった式の実現が可能となりますよね。
御社の益々のご発展とブロガーさんのご活躍をご祈念いたします。
頑張ってください。
なかむら